全日本トライアル選手権の最高峰クラスとなるIAスーパー。そこに参戦するライダーたちのこれまでのトライアル人生と、見据えているこれからをきく。第2回目はスーパークラスに参戦し始めて3年目。今年はスーパークラスでの上位入賞を目指す砂田真彦選手。
いい意味でのマイペース。
愛嬌があり、誰にでも好かれるキャラ・砂田選手を一言で表すなら、その言葉が一番かもしれない。
「高校2年生のときにNA(国内A級)からIB(国際B級)に昇格しました。当時所属していた”HRCクラブ和光イエローウイング”からマシンを貸し出してもらえたなど、体制もとてもよくて、かなり気合が入っていたというか、入りすぎていたのだと思います。開幕戦前の練習でまさかのケガ。ヒザのじん帯を損傷してしまい、結局開幕戦には出られなかったのです…。それでそのとき『あぁ僕は急いだり、焦ったり、自分のペースを乱すようなことは合わないのかもしれない』と感じ、それからは常に平常心を保とうと思うようになりました」
苦笑いをしながらそう語る砂田選手。そんな彼がトライアルを始めたのは、小学6年生の頃。トライアルを楽しんでいた父親の練習や試合に付いていったのがキッカケだった。
「僕、みんなみたいに自転車トライアルはやっていないのですよ。それまでずっと少年野球に打ち込んでいましたし、そういった機会もなかった。それがいつの間にか父がトライアルをやっていて…。練習や試合を観るようになって、多分、楽しそうだなぁと思ったのでしょうね。小学6年生の卒業間近だったか、中学に上がった頃に父が乗らなくなったTLM50に乗り始めました。そこからはもうずっとトライアルです」
中学生になると大会にも出るようになった砂田選手。「小・中学生の頃は体が小さくて、学校で整列する時はだいたい一番前でしたね…」。そのため、中学2年でフルサイズのRTL250Rに乗り替えたが、操るのが大変だったという
中学2年生になると、父に購入してもらったRTL250Rに乗り替え、ライセンスを取って関東選手権に出場するようになった。体が小さいながらもフルサイズのRTL250Rを操り、初めて出た大会でポイントを獲得。このまま続けていけばうまくなれるのだろう、いつかIA(国際A級)に上がれるものなのだろうと思ったという。と同時に、周囲の大人たちからの”若手への期待”に「期待されてもうまくなれるかわからない」という気持ちも湧き、プレッシャーを感じたこともあったのだとか。ちなみにこの中学生時代、自転車トライアルで世界チャンピオンを獲った、一つ年下の西元良太選手がオートバイトライアルに転向し、同じクラスで競い合っていたとともに、砂田選手のトライアル人生に大きな影響を与えた本多元治選手に出会っている。とはいえ、砂田選手にとって本多選手は”雲の上の存在”だったそうで、本人いわく「話しかけるなんて恐れおおくて…。自分が走っている姿も恥ずかしくてみてほしくなかった」という。
「高校1年生になるとNA(国内A級)になったのですが、その当時関東選手権には、永久保恭平選手など同世代が多くて、若手がどんどん上位に入り賑わっていました。また、IBに昇格した高校2年生のときは、もっと年下で一緒にグランドチャンピオン大会に出ていた小川毅士選手がIB1年目できちんと結果を残してIA(国際A級)に昇格していった。そして同期の西元選手がその年の開幕戦で6位に入って、自分にはできないような走りをしていたことに焦ったのを覚えています。対照的に僕は、『結果を残さなければ、負けたくない』という気持ちは大きくても、優勝できる場面でそれを逃してしまったり、なかなか思うような結果を出せず、うまくもならない。だから高校時代になると、自分はこの先、上達できるのだろうか…、続けていけるのだろうか…、そういった不安な気持ちが大きくなっていきました」
砂田選手の父親が、かつてあったトライアルの名門チーム・和光イエローウイングに所属しており、砂田選手も同チームに所属。社長の岡本道則さんには孫のようにかわいがってもらった。写真は2014年に開催した岡本さん主催大会時のもの。なおチーム和光には小林直樹選手、本多元治選手なども所属していた
だが高校卒業後の進路を決めるとき、両親から「進学するかトライアルを続けるかどちらかを選びなさい」と言われると、何の迷いもなくトライアルを選んだそうで、高校卒業後は自営業の父親の仕事を手伝いながら、休みになるとトライアルの練習に明け暮れていた。
この人なしでは砂田選手のトライアル人生はなかったと言える、砂田選手にとってのトライアルの師匠・本多元治選手(右)と共に。「僕が20歳前後の頃は、僕の負担を抑えるためにわざわざ迎えに来て、一緒に練習場まで連れていってくれたり…。後輩にもすごく気を遣ってくれる方なのですが、ここぞというときはちゃんと叱ってくれる。お世話になりっぱなしで、道しるべ的存在です」
誰にでもターニングポイントはあるだろう。砂田選手の場合、最初の転機は本多選手のスクールを手伝うようになった20歳の時だった。
「多分、それがなかったら僕はその頃にトライアルを辞めていたと思います。19歳でIAに昇格しましたが、IBとはレベルが全然違うし、鳴かず飛ばず。明確な目標がなかったのもいけなかったのかな…。IA昇格1年目なんて1ポイントも取れず、だんだんとトライアルへの情熱が薄れた時期でした。だけどチーム和光の先輩・本多選手が開催しているスクールのインストラクターとして呼ばれるようになったのです。必然的に接することが増え、本多選手が生徒さんたちにノウハウを教えているのを横で聞く機会も多くなった。その事が乗り方や練習の仕方など、トライアルについて考え直すキッカケになりました。加えて本多選手のトライアルに対するストイックな姿勢を見て、自分もそのぐらいまで追い込まないといけないなと…。そしてもっと上を目指そうと思うようになったのです。今もですけれど色々とサポートしてくれることが多くて、本多選手なしに僕のトライアル人生はありません」
その後、06年22歳の時にさまざまな巡り合わせで現在所属しているATJ(オートテクニックジャパン)に入社。テストライダーとして働きながら全日本に出場していたが、ATJの社内クラブチームとし全日本に出るようになったのは2013年のこと。そしてその1年前の2012年にも砂田選手の意識を変える出来事があった。
「もっと上を目指さなければという気持ちがあった反面、その頃はまだ自分に自信を持てずに走っていたことが多かったのです。それに僕は毎回だいたい15位前後が定位置だった。自分の実力はそのぐらいなのだろうと決めつけちゃっていたのでしょうね…。そんな状態のなか、2012年の山口県で開催された第5戦で3位に入りました。たかだか3位と思われるかもしれませんが、それまで(入賞となる)6位にさえ入ったことのない僕にとって、その結果と内容はとても大きなものでした。この時、1ラップ目は11位。普段だったらそこで『いけるかなぁ、ダメかなぁ』と考えてしまっていたと思います。でもその試合で難しいセクションを狙い通りに走ることができて『いけるかも。うん大丈夫、いける』という気持ちに変わって…。『あぁ、こういう風に試合をまとめて、気持ちを切り替えればいいのか』。そういったことがわかったのと、自分でも表彰台に上がることができる。結果が出せるのだなと思って、初めて上位に入れる自分がイメージできるようになったのを覚えています」
そして2012年シーズン砂田選手はランキング6位となり、2013年はランキングを8位に落とすものの2014年、全日本で自身初の優勝を飾る。それは岡山県の原瀧山トライアルパークで開催された第5戦のこと。前日に雨が降り続き、山の中の土が多いそのコースはドロドロ、走るとツルツルという状態だった。
「だから5点はとらないで3点で出られるようにしようと考えて試合にのぞみました。リラックスはしていたのですが、実を言うとゴール後も自分が1位だとは思っていなかったのです。なぜならこの時、確か本多選手や寺澤慎也選手、岡村将敏選手、小野貴史選手など、実力派たちがそろっていた大会だったので…。そのなかで優勝、しかも初優勝ですからすごく嬉しかったですね。でも、まだ残り2戦あったのでここで喜んで調子に乗ってしまうと高校2年生の時のように痛い目に遭うかもしれないと、その感情を抑えるようにしていました(苦笑)。もうそろそろきちんと結果を残さないと、年齢的な面を考えてもスーパークラスに上がるのは難しくなると思っていました。やっぱりなんだかんだと、いずれ一番上のクラスで走りたい。昔からその気持ちはあったので…」
現在は、IAクラスでチャンピオンを獲得すると、翌年は自動的にスーパークラスへ昇格、ランキング2〜5位はスーパークラスへ昇格する権利が与えられる。2014年、IAクラスでランキング4位を獲得した砂田選手は迷わずスーパークラスの昇格を申請した。ただ、そこはまるで違う世界だったという。
「スーパークラス1年目は自分の技量以上のことをしなくてはいけないという印象でした。セクションを走るのに足りないものが多かったですし、別の競技をやっているのではないかと思うほど何もかも違って、ライディングからフィジカルすべてを見直しましたね…。ただ開幕戦、それも苦手な真壁トライアルランドでポイントが取れたので、自分を追い込んで頑張っていけばもう少し上にいけるのではないかという気持ちと、ポイントを取らなければ翌年降格になりますから、少しホッとした気持ちでした。スーパークラスを走るようになって感じたのは、カッコをつけている場合ではないなと。IAクラスのときは、走り方のスタイルにこだわりがありましたけれど、そんなことをしている場合じゃない。とにかくバタバタと足を着いたり、どんなにカッコが悪くてもいいからがむしゃらにならないと結果を残せないなと思いました。また、それまでは、どちらかというと難しいセクションが好きで、優しいセクションが苦手でした。でも、スーパークラスでは難しいセクションは抜けられない(セクションごとにあるゴールまでたどり着けない)ことが多いので、優しいセクションで2点でも3点でもいいから抜けないといけないわけです。だからIAクラスの時とは気持ちを大きく切り替えて走るようになりました」
スーパークラスに参戦し始めてから、砂田選手は同僚でモトクロスのIAライダーでもある片倉久斗さんにお願いし、アシスタントになってもらった。難易度が高いスーパークラスは、アシスタントがいないとなかなか思い切りチャレンジできないセクションも多い。
「彼は年下ですけれど職場では同期なので気心が知れた仲。色々と器用にこなしてくれるので助かっています。きっと僕はとても人に恵まれているのでしょうね。本多選手、久斗、チームの先輩・小野選手やそのアシスタントの竹屋健二さん、応援してくれる会社や同僚、『頑張ってね』と声援を送ってくれるお客さん、僕がトライアルをするためにお金と時間をかけてくれた両親など…。そして当時世界選手権を転戦していた黒山選手がIAになったばかりの僕をなぜか気にかけてくれて、歳は少し離れているけど、今でも親友のような間柄です。本当にありがたいですし、そういう方たちがいてくれるのでトライアルを続けている、いられるのだと思います。
2017年の目標は一戦でもいいから1桁の順位に入って、最終的にランキング9位以内になることです。そのために今年はバイクの仕様を少し変えて、まだまだ足りない体力やパワー、技術をつけるためにトレーニングしています。また、上位のライダーのようにライン(走る場所)を一発で決められるようにしたいですね。
改めて考えると、やっぱり自分は常に新しい発見と挑戦ができるトライアルが大好きなんです。だから現在33歳ですが、しばらくは選手を続けていきたいですし、出るからには中途半端にはしたくない。微力だとは思いますが僕が参戦することで、トライアルを知ってもらうキッカケになるかもしれないですし、まだまだ頑張ります!! マイペースに…。そしてみなさんにぜひ会場にお越しいただき、応援していただけたら嬉しいです!!」
なお砂田選手は、2017年5月27日(土)〜28日(日)に栃木県・ツインリンクもてぎにて開催されるトライアル世界選手権日本グランプリにスポット参戦する。
2015年からスーパークラスに参戦開始。2017年はゼッケン14を付けて戦う。淡々とマイペースだが、ユーモアにあふれ、トライアルを多くに人に知ってもらいたいと様々に活動中。
1984年1月11日生まれ、東京都出身、栃木県在住。
参戦レース | クラス | 成績 | |
---|---|---|---|
1997年 | トライアル国内B級ライセンス | ─ | ─ |
1998年 | トライアル国内B級ライセンス | ─ | ─ |
1999年 | トライアル国内A級ライセンス | ─ | ─ |
2000年 | トライアル国際B級ライセンス | ─ | ─ |
2001年 | トライアル国際B級ライセンス | ─ | ─ |
2002年 | トライアル国際A級ライセンス | ─ | ─ |
2003年 | トライアル国際A級ライセンス | ─ | ─ |
2004年 | トライアル国際A級ライセンス | ─ | ─ |
2005年 | トライアル国際A級ライセンス | ─ | ─ |
2006年 | トライアル国際A級ライセンス | ─ | ─ |
2007年 | トライアル国際A級ライセンス | ─ | ─ |
2008年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級 | ランキング11位 |
2009年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級 | ランキング12位 |
2010年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級 | ランキング11位 |
2011年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級 | ランキング8位 |
2012年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級 | ランキング6位 |
2013年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級 | ランキング8位 |
2014年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級 | ランキング4位 |
2015年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級スーパー | ランキング11位 |
2016年 | 全日本トライアル選手権 | 国際A級スーパー | ランキング14位 |